次の帝、朱雀院天皇と申しき。これ、醍醐の帝第十一の皇子なり。御母、皇太后宮穏子と申しき。太政大臣基経のおとどの第四の女なり。この帝、延長元年癸未七月二十四日、生まれさせ給ふ。同じ三年十月二十一日、東宮にたたせ給ふ。御年三歳。同じ八年庚寅九月二十二日、位につかせ給ふ。御年八歳。承平七年正月四日、御元服。御年十五。世を保たせ給ふこと十六年なり。
八幡の臨時の祭は、この御時よりあるぞかし。この帝生まれさせ給ひては、御格子も参らず、夜昼灯をともして御帳の内にて三まで生し奉らせ給ひき。北野に怖ぢ申させ給ひてかくありしぞかし。この帝生まれ御座しまさずは、藤氏の栄えいとかうしも御座しまさざらまし。いみじき折節生まれさせ給へりしぞかし。位につかせ給ひて、将門が乱れ出できて、御願にてぞと聞こえ侍りし、この臨時の祭は。その東遊の歌、貫之のぬしの詠みたりし。
松も生ひまたも影さす石清水行末遠く仕へまつらむ