次の帝、醍醐天皇と申しき。これ、亭子太上法皇の第一の皇子に御座します。御母、皇太后宮胤子と申しき。内大臣藤原高藤のおとどの御女なり。この帝、仁和元年乙巳正月十八日に生まれ給ふ。寛平五年四月十四日、東宮にたたせ給ふ。御年九歳。同七年正月十九日、十一歳にて御元服。また同じ九年丁巳七月三日、位につかせ給ふ。御年十三。やがて今宵、夜の御殿より、にはかに御かぶり奉りて、さし出で御座しましたりける。「御手づからわざ」と人の申すは、誠にや。さて、世を保たせ給ふこと三十三年。この御時ぞかし、村上か朱雀院かの生まれ御座しましたる御五十日の餅、殿上に出ださせ給へるに、伊衡中将の和歌つかうまつり給へるは」とて、覚ゆめる。
『ひととせに今宵かぞふる今よりはももとせまでの月影を見む
とよむぞかし。御返し、帝のし御座しましけむかたじけなさよ。
いはひつる言霊ならばももとせの後もつきせぬ月をこそ見め
御集など見給ふるこそ、いとなまめかしう、かくやうの方さへ御座しましける。