次の帝、円融院天皇と申しき。これ村上の帝の第五の皇子なり。御母、冷泉院の同じ腹に御座します。この帝、天徳三年己未三月二日、生まれさせ給ふ。この帝の東宮にたたせ給ふほどは、いと聞きにくく、いみじきことどもこそ侍れな。これは皆人の知ろしめしたることなれば、ことも長し、とどめ侍りなむ。安和二年己巳八月十三日にこそは位につかせ給ひけれ。御年十一にて。さて天禄三年正月三日、御元服、御年十四。世を保たせ給ふこと十五年。
母后の、御年二十三四にて、うちつづき、この帝、冷泉院とうみ奉り給へる、いとやむごとなき御宿世なり。御母方の祖父は出雲守従五位下藤原経邦と言ひし人なり。末の世には、奏せさせ給ひてこそは、贈三位し給ふとこそは承りしか。いませぬ後なれど、この世の光はいと面目ありかし。中后と申す。この御ことなり。女十の宮うみ奉り給ふたび、かくれさせ給へりし御嘆きこそ、いとかなしく承りしか。村上の御日記御覧じたる人も御座しますらむ。ほのぼの伝へ承るにも、およばぬ心にも、いとあはれにかたじけなく候ふな。そのとどまり御座します女宮こそは、大斎院よ。