大鏡 - 六十七代 三条院 居貞

 次の帝、三条院と申す。これ、冷泉院の第二の皇子なり。御母、贈皇后宮超子と申しき。太政大臣兼家のおとどの第一の御女なり。この帝、貞元元年丙子正月三日、生まれさせ給ふ。寛和二年七月十六日、東宮にたたせ給ふ。同じ日、御元服。御年十一。寛弘八年六月十三日、位につかせ給ふ。御年三十六。世を保たせ給ふこと五年。
 院にならせ給ひて、御目を御覧ぜざりしこそ、いといみじかりしか。こと人の見奉るには、いささか変はらせ給ふこと御座しまさざりければ、そらごとのやうにぞ御座しましける。御まなこなども、いと清らかに御座しましける。いかなる折にか、時々は御覧ずる時もありけり。「御廉の編諸の見ゆる」なども仰せられて。一品宮ののぼらせ給ひけるに、弁の乳母の御供に候ふが、さし櫛を左にさされたりければ、「あゆよ、など櫛はあしくさしたるぞ」とこそ仰せられけれ。この宮をことのほかにかなしうし奉らせ給うて、御髪のいとをかしげに御座しますを、さぐり申させ給うて、「かくうつくしう御座する御髪を、え見ぬこそ、心憂く口惜しけれ」とて、ほろほろと泣かせ給ひけるこそ、あはれに侍れ。わたらせ給ひたる度には、さるべきものを、かならず奉らせ給ふ。三条院の御券を持て帰りわたらせ給うけるを、入道殿、御覧じて、「かしこく御座しける宮かな。幼き御心に、古反古と思してうち捨てさせ給はで、持てわたらせ給へるよ」と興じ申させ給ひければ、「まさなくも申させ給ふかな」とて、御乳母たちは笑ひ申させ給ける。冷泉院も奉らせ給ひけれど、「昔より帝王の御領にてのみ候ふ所の、いまさらに私の領になり侍らむは、便なきことなり。おほやけものにて候ふべきなり」とて、返し申させ給ひてけり。されば、代々のわたりものにて、朱雀院の同じことに侍るべきにこそ。
 この御目のためには、よろづにつくろひ御座しましけれど、その験あることもなき、いといみじきことなり。もとより御風重く御座しますに、医師どもの、「大小寒の水を御頭に沃させ給へ」と申しければ、凍りふたがりたる水を多くかけさせ給けるに、いといみじくふるひわななかせ給て、御色もたがひ御座しましたりけるなむ、いとあはれにかなしく人々見参らせけるとぞ承りし。御病により、金液丹といふ薬を召したりけるを、「その薬くひたる人は、かく目をなむ病む」など人は申ししかど、桓算供奉の御物の怪にあらはれて申しけるは、「御首に乗りゐて、左右の羽をうちおほひ申したるに、うちはぶき動かす折に、すこし御覧ずるなり」とこそいひ侍りけれ。御位去らせ給しことも、多くは中堂にのぼらせ給はむとなり。さりしかど、のぼらせ給ひて、さらにその験御座しまさざりしこそ、口惜しかりしか。やがておこたり御座しまさずとも、すこしの験はあるべかりしことよ。されば、いとど山の天狗のし奉るとこそ、さまざまに聞こえ侍れ。太奏にも蘢らせ給へりき。さて仏の御前より東の廂に、組入はせられたるなり。
 御鳥帽子せさせ給ひけるは、大入道殿にこそ似奉り給へりけれ。御心ばへいとなつかしう、おいらかに御座しまして、世の人いみじう恋ひ申すめり。「斎宮下らせ給ふ別れの御櫛ささせ給ては、かたみに見返らせ給はぬことを、思ひかけぬに、この院はむかせ給へりしに、あやしとは見奉りし物を」とこそ、入道殿は仰せらるなれ。